人は変われる

 意識哲学の話をしている時、「昔の私は、とんでもなく弱気で、人目を気にして……」と言うと、大抵の方から「とてもそうは見えませんよ。ちょっと信じられませんね」などとよく言われてしまいます。

 そこで、「人というものは信じられないくらい変われるものだ」ということを示すために、私の過去について書き残しておくことは、価値があるかもしれないと思い立ちました。

1 男性性と女性性

 私がまだカウンセラーとして未熟だったころのこと。

 クライアントの多くは女性です。

 なぜかと言うと、男性は社会生活でいつも構えていて、心を開くことがひどく難しいのでカウンセリングを避けているからです。

 女性のクライアントは、死にそうな顔をして来所されても、2,3回のカウンセリングで直ぐに元気になられる方が多く居られます。そして一応カウンセリングを終了する段階になって、「この際だから、徹底的に」と更なる研鑽を希望される方も少なくありません。

 これとは対照的に男性のクライアントは、明日会社に行けそうもないとか、とことん困った状態になってようやく来所されます。そして、何とか通勤できるなど、必要最低限の結果が得られると終了されることが多いのです。

 また私は以前、離婚カウンセリングを多く扱った時期があります。

 大抵は奥様が来所されますが、多くの場合、熱々カップルが再生されます。そもそも90%はうまくいっていたご夫婦が、10%足らずのところでぶつかり合い、許せなくなっていただけなのです。本来の姿に戻ったと言えるでしょう。

そんな中で奥様のカウンセリングを終えたとき、たまにご主人から「私も」と依頼されることがあります。目の前で、奥様のすごい変化を見ているので、「私も楽になりたい」と思われるのです。

 ところが、2,3回来られた後、予定が立たなくなります。奥様から電話を頂きます。

「お前、よくあんなところへ通えたな」と尊敬されたそうです。

 つまり、男性にとって、心を開くことはとても苦痛なのです。よほど切羽詰まっていないと、カウンセリングを続けるだけのモチベーションを保てないのでしょう。

 色々なケースを扱ってみて、それを理論的に図解してみました。

図1 男性性と女性性

少し単純すぎるかもしれませんが、この図を使って説明します。

女性は、子どものときに「女の子なのだから、少しはおしとやかにしなさい」などと言われて育ったかもしれませんが、普通はけっこうおてんばです。そして大人になって社会に出ると、男性性を要求されます。女性が、男性的なスーツを着て仕事をしていると、格好良く見えるものです。

つまり、図1で示される男性性と女性性の両方を使っているのです。

これに対して男性はどうでしょうか。「お前、それでも男か」などと叱られることもあるでしょう。そして大人になった時、極めて不公平な現実にぶつかります。男性が、女性的なスカートを履いて会社へ行くと、多分受け入れられません。

つまり男性は、図1で示される男性性の部分しか使わせてもらえないのです。

勿論、これは複雑な個性を単純化し、極端な表現をしています。しかし、そういう傾向があると思われるのです。

 さて、図1に書かれている「男性性」「女性性」は、ただ性別を示しているだけではありません。この図には、「男性的能力」「女性的能力」という意味が隠されています。

 つまり、女性が両方の能力を使えているのに対して、男性は、極論を言えば半分しか能力を使えていないことになるのです。これでは、男性は女性に適うはずもありません。

 単純に男女の能力を比較するのは無理がありますが、少なくとも「本来持っているはずの能力を使えていない」という意味では、男性はひどく損をしているのではないでしょうか。

2 私の過去

 昔の私は違っていた。そう言う度に、「なんか信じられません」と言われます。そこで、以下のような自己紹介文を書くことにしました。意識哲学が、心を開放する上で極めて強力なツールいなり得ることを知って頂きたいと思っています。

 以前にも少しだけ書きましたが、私は、昔はひどくあがり症、緊張症で、人目ばかりキョロキョロ気にしている「心の弱い人間」でした。40歳から意識哲学の構築を始め、50歳ころには激変し、人並みになっていたとは思いますが、それでもまだ、とても満足できる状態ではありませんでした。

 例えば著名な方の講演に行き、最後に「ご質問のある方」などと言われることがあります。私はそれを予期して、質問内容をまとめて、手を挙げる準備を整えています。

 ところが、いざその時が来ると、「えーと、えーと、どうしよう……まあ、止めておこう」という具合に諦めてしまうのです。

 道を歩いていて誰かとぶつかったり、電車の中で押し合いになったりすると、直ぐに身体が硬くなり身構えます。誰かに誤解されたと思うと、途端に言葉が出なくなります。

 

 自分で描いた図1を眺めながら色々と思いを巡らしてみて、「ああ、まさに男をやっていた」という自覚が生まれました。

 さて、どうしよう。

 そこで私は、1か月の間、オカマさんをしてみることにしました。

 私が、何か自分でワークをするときは、大抵1か月です。ずっとはできないし、1か月くらい頑張らないと結果が期待できないからです。そしてその間、「無駄じゃないか」「効果なさそう」「冷静に考えるとばかばかしい」など、様々な思いが浮かんでくるのですが、絶対に無視します。やると決めたら、必ず1か月やり通すことです。

 クライアントがカウンセリングを終えて、玄関のドアを閉めた途端に「いやだ~、もう」などとシナを作った声で話し始めます。

 ところが、これは失敗でした。

 新宿2丁目に詳しい女性がお茶を飲みに立ち寄った時、「吉家さん、それ違う」と言うのです。「それは、男の人が考える女性ですよ。本当のオカマさんて、違うの」

「そうですか。どんな感じ?」

 するとその人は、実に上手にオカマさんを真似て見せます。

 まずは早口。そう言えば、テレビで見る人たちは大抵早口だと、納得しました。

 しかし、いざ真似をしようとすると、これが難しいのです。男性の脳みそは、そんなに早口に話すようにはできていません。

 私は、「男女の違いは一般に考えられているほど大きくない」という意見の持ち主だったのですが、おしゃべりのスピードは確かに違うのです。これは、やってみるべきだと、興味津々になりました。

 そこで、直ぐに覚えられるくらい短い台詞を決めて、それを練習してみることにしました。

「きのう、原宿の交差点で信号待ちしてたの。そしたら急に変な気分に成ってしまって、振り向いたら気持ちの悪い髭もじゃのおじさんが、いきなり私の肩を掴んでキスしたの! どうしよう!」と言って、両手で顔を覆う。というものでした。

 これを来る日も来る日も、クライアントが帰って一人になると、事務所の丸テーブルの周囲を回りながら、ぶつぶつ言い続けるのです。勿論、絶対に変です。何回か、「バカバカしい」とか、「そろそろ止めていいかな」とか、かなり強烈な思いが湧いてきました。

 でも、絶対に止めずに続けました。

 ある時、銀行のATMを使おうと並んでいたのですが、私の番が来て機械の前まで行った時、ガタンと裏で音がして「調整中」の表示が出てしまいました。何ということだ。そのときとっさに「あらいやだ」と言ってしまったのです。慌てて口を押えて周囲を見ると、誰も気にしていません。ホッとしたことがありました。

かなり入れ込んでいたと思われます。すると、オカマにはなりませんでしたが、とんでもない変化が起こりました。

 1か月頑張って、ふと気づいたのです。

 私は、まったく物おじしていない。それ以来、誰と話をするときにも、まったく物おじしていないのです。それどころか、誰かと話のできる場面では、必ず話しかけます。人と話をするのが、楽しくて仕方ないのです。

 著名人の講演会。

「ご質問のある方」「はい」考える間もなく、手を挙げている私がいました。

 あるとき、まったくの偶然なのですが、参議院議員の昼食会に穴が開いたとのことで、巡り巡って私にお鉢が回ってきました。

 変なもので、10人ほどの参加者が、皆さん緊張気味。

 当然という顔をして議員の正面に陣取り、「ちょっとお聞きしていいですか?」。皆さん、ぎょっとして私を見ます。いやいや、議員も普通の人間です。

 何か買い物をするとき、大抵は店の方に話しかけます。

 あるとき、和菓子店でのこと。

「和菓子は綺麗で、いい御商売ですね」と私。

「いえ、なかなか大変で……」

 私の余りにも気楽な雰囲気に、つい愚痴が始まりました。客に愚痴を言うなよと内心笑ってしまいましたが、少なくとも私が話しかけて不愉快になる人はいないみたいです。

 50年生きてきた人間が、たった1か月のワークで激変したのです。

 これは、奇跡と呼ぶにふさわしくありませんか。

 どうして、今まで気づかなかったのだろう。人に話しかけるのは、とても素敵なことじゃないか。何をビビっていたのだろう。私は、大げさでなく人生が大きく変わったことを感じました。

始めから気楽に話しかけられる人は、それほどのことではないと思うかもしれません。

「そんなに大したことなの?」

と言うかもしれません。

 しかし、できなかった私にとっては、まるで地球の裏側からやってきたと言えるほどの、とんでもなく大きな変化だったのです。

3 地球の裏側からやって来ました

 オカマワーク以来、私は何かの席で自己紹介をするとき、「地球の裏側からやって来た吉家です」と言うことにしていたほどの変化がありました。

 あれが50歳前後のことでしたが、そもそも私は、もっと遠くから来ているのです。

 30歳ころ、製薬会社に出勤はできていましたがうつになり、自宅にあった鉢植えのシクラメンがビニール製に見えました。余りにも異常さがはっきりしていたので、心理カウンセリングを受けたことがあります。何とか持ちこたえることができましたが、とても健康な精神状態とは言えませんでした。

そして、30代前半だったと思います。

 そのころ私は、まだ研究所に勤める社員でした。上司から「〇〇先生(著名な学者)の講演会に行ってこい。講演が終わったら、同じ講演を我が社でやって頂くように依頼してこい」と命じられました。

 当日、講演が終わり、私は名刺を持って演者のところへ駆けつけるつもりでした。確かに、その気はあったのです。

 ところが、分かっていたことではあるのですが、最前列に座っていた関係者が先生に歩み寄り、円陣を作って「お疲れ様」と言い始めました。この円陣を見た途端、私は、強い緊張感と共に動けなくなりました。何が起こったのか、想像してみて下さい。

 会議室を出ていく先生を見送りながら、会社に帰ってからどう報告しようかと窮地に立たされている私が居ました。評価が下がるのは、仕方ないことです。叱られるかもしれません。

 でも私が最も悩んだのは、そこではなかったのです。

 私が「行けませんでした」と言ったら、理解されるのだろうか。上司に理解され得る表現は、何かないものだろうか」ということだったのです。

 コマーシャルで見た「宇宙人に襲われました」という言い訳を、一瞬ですがマジに考えました。

 ほぼ障碍者のレベルだったと思います。

 それだけではありませんでした。

 事態は悪化の一途をたどりました。私が辞職したのは、38歳の冬です。

 大学4年のころから始まった群発性頭痛が徐々に重症化して、ごまかすことができなくなっていました。最終的には、極度の苦痛で精神を正常に保つことができなくなり、あと1,2年で廃人になると悟り、人生を諦めました。

 出世しか目標を持っていなかった私は、最後の最後まで「何とかごまかして出世する方法はないだろうか」と必死でした。ですから、良い父親でもなく、良い夫でもなかったと思います。家族には、今までの私のイメージしか残らない。それはあんまりだ。廃人になる前に、本来の私を見て覚えておいて欲しいと願い、それだけのために辞職しました。

 ところが、当時、専門医も治らないと言っていた病が奇跡的に快癒しました。私は、勿論嬉しかったには違いありませんが、戸惑い、呆然としました。改めて生きなければならない。

 妻と二人の子どもを養えるだろうか。

 化学は、巨大な資本が無ければ仕事になりません。私にできることがあるだろうか。

 一千万円でミニコンピュータを購入したら、統計処理の仕事を受注できないだろうか。

 様々なケースを考えましたが、障碍者並みの私には、どれも無理でした。

そういう発想では見つからないと悟った時、私は、まったく別の結論にたどり着きました。

「今度こそ、本当に自分にとって価値のある人生、全人格を通してやりたいと思ったことをするぞ」と、決断したのです。

 それは、心を解き明かすことでした。それは、小学校1年生のときからの願望でした。

 するとその決断を待っていたかのように、次々に心の封印が解かれていきます。実家の書棚に保管していた数十冊の心理学の本が見つかりました。赤線がびっしり書き込まれています。こんなに勉強していたんだ。

 そんないきさつがあり、私は、最も適性のない職業を選んだと言えるでしょう。

 勿論、無謀でした。3人目のクライアントにお会いした時、私の精神のもろさ弱さが原因で、カウンセリングに失敗しました。

「これではいけない。こんなことは許されない」

 そこから、自分との戦いが始まりました。

 意識哲学の始まりは統一場心理学であり、その最初に手掛けたのが内在者理論(心の中にある複数の人格に関する理論)でした。私は、来る日も来る日も、大学時代から構築し始めていた理論の完成を急いでいました。

そして辞職してから3年目に入った時、偶然道で昔の同僚に会いました。

「あ、こんにちは。ご無沙汰しております」

 信号待ちの間の1,2分、お話ししました。

 ところが、相手がまじまじと私の顔を見て、

「君、変わったねえ」

 と言ったのです。「え」と思ったのですが、家に帰ってじっくり考えてみました。

 変わっていました。

 大きく、変わっていました。

「理論を構築しただけで変われた」

 これならいけると思いました。内在者理論を理解した人は、それだけで心のあり方を変えられるのです。

 そこから50歳までの10年間で、私は激変しました。大体、人並みになったのです。

 そして、オカマワークで、普通の人の中でも「大丈夫な人」の仲間入りをしたと思っています。

 50歳から60歳までの10年間で、更に激変しました。そして、74歳の現在も、変わり続けています。

 私は、地球の裏側からやって来たのです。

4 変わるとは、どんなことか

 心のあり方は、本人が心の底から願えば、誰でも、何歳からでも可能だと思います。

 しかし、それにはいくつかの条件があります。

(1)勇気が必要です

 人は誰でも、自分が変わることに対して、とても強い不安を感じるものです。ときには無謀と思われるくらいの気持ち、谷底へ飛び降りるような蛮勇が必要になります。

(2)効果的な方法が必要です

 いくら願っていても、どうしたら変われるかという具体的な方法を知らなければ、ほぼ不可能です。

(3)変わることに価値を感じなければ、不要なことです

 そもそも、社会人のほとんどは、本気で変わろうとは思いません。現状で何とかなっているからです。価値を感じなければ、変わることなどありませんし、必要もありません。

 もう一つ、これは「どうしようか」と迷っている方に伝えておきたいことがあります。

 それは、たとえ心が大きく変わっても、失うものは何もないということです。勿論、無理矢理洗脳されたら分かりませんが、自分で「やるぞ!」と決断して実施した場合には、得ることはあっても失うことはないのです。

 図2 心の変化

 先に述べたように、本人が望まなければ変化は起こりません。

 しかしもし、あなたが変わりたいと本気で思ったら、それはいつでも可能です。